久しぶりにブログを書こうと思う。
33歳になったオッサンが最近監査法人で感じることを書く。といっても、修了考査の合間の息抜き程度だが。
これは社会人になってから僕が経験してきたことなので、医療人にもできれば読んでほしい。
(僕自身に対する戒めの目的でもあります。不快に感じる方がいたら申し訳ありません。)
会計士の卵たち
私の監査法人では、クライアントに対する資料依頼や修正依頼はQAシートというエクセルで行う。
コロナ禍なので仕方がないのかもしれないが、あまりに無機質だ。クライアント側が資料依頼や指摘に関してどのように感じているのか直接感じることはできない。
また、会計士として外部に開示する資料の間違いを指摘しないといけないとき、インチャージという責任者(チームのリーダーみたいな存在)を経由していることが多い。
何が言いたいか分かるだろうか。
スタッフが考えたことは一旦インチャージが再度確認するという図式が成り立っており、スタッフが決断することはほとんど無いように思う。
もちろんチームによっても個人によっても差があるかと思うが、リスクを背負っているスタッフがどれだけいるのだろうか。
オッサンとしては、すごい違和感がある。
社会人なりたての頃の経験をちょっと聞いてほしい。
今になって思うと、僕が人生に対して腹をくくることができた瞬間だと思う。
小さな女性の覚悟
社会人なりたての時に、といっても浪人して6年制薬学部を卒業した後なので、25歳の時に病院薬剤師としての第一歩を踏み出した時のことだ。
僕が所属していた病院の薬剤部は、希望業務を決める一環として、緩和ケアチームやNSTチーム、抗がん剤チームを体験する機会が与えられる。
どのチームも病院には欠かせないが、僕は緩和ケアチームの時に感銘を受けた。
緩和ケアとは、「どのように苦痛を感じずに最期を迎えることができるか」ということを主眼にした仕事だと思う。
つまり、対象とする患者さんは最期を考える必要がある人だ。
体験で回った病棟は外科の病棟。
20歳くらいの看護師さんだったと思う。
緩和ケアチームが回ってきた時に、あるターミナルの患者さんのことを話し始めた。
患者さんは30代半ば。大腸がんだったと思う。働き盛りで子供も小さい。まだまだ生きたいと考えているということが伺えた。
対して看護師さんはまだ20歳くらい。職業人として患者さんを担当することは重荷だったのではないか。失礼かもしれないが、僕の人生を鑑みるとそうだ。
彼女は泣きながら言う。
「私なりに懸命に尽くしましたが、どうしたら良いのでしょうか。子供がかわいいというあの人になんて声をかけて良いのか分かりません。痛みだけでも取ってあげてください」
体験ってだけあって、僕は何となく薬剤師を名乗っていただけだ。
医療人と言えるものではない。どうにか力になろうとしていた彼女には足元にも及ばない。
その時に僕も覚悟を持とうと思った。薬剤師として医療に参加したいと思った。人の役に立ちたいと思った。
足りないもの
あれから、もう10年近く経っているが未だに思い出す。彼女に教わった、きっと一番僕に足りないものだ。
覚悟。
自分の仕事に責任を取るという覚悟。
さて、長くなったが、今の監査法人のスタッフレベルの人でもそのような覚悟があるだろうか。
彼女のように涙を流せるほど自分のことと考えられているだろうか。
老害かもしれないオッサンの戯言だが、もしも心当たりがあったら行動を改めてほしい。